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(Updated: Aug.01,2009)

日本の多発性硬化症


東北大学大学院医学系研究科神経・感覚器病態学講座神経内科学分野 教授
MS協会医学顧問団 代表・理事

糸山 泰人

 日本多発性硬化症協会(Japan Multiple Sclerosis Society,JMSS)の理事の中田さんから、JMSSニュースレターの充実と今後の本協会の活動を活発にする一助として、協会に関与する方々のエッセイをニュースレターに載せてはということが提案されました。大変良い考えと思い、医学顧問団の代表である私がまず一番バッター役をお引受けいたしました。

1.多発性硬化症とは?
 よく例に挙げられるのですが、欧米においてはスーパーマーケットで買い物をしていると、一般の方々の日常の会話の中にもしばしば多発性硬化症(Multiple Sclerosis,MS)の話題が交わされるほど多い病気ですが、日本においては多発性硬化症という名前、ましてやMSという名前を聞いても理解できる方がほとんどいません。これは、MSが日本には大変少ない疾患であることに大きな理由があります。また、MSという病気が神経難病の中でも極めて複雑な神経症状を示すとともに、再発したり治ったり多様な経過をたどるので診断が難しいということも理由の一つになっているとも考えられます。MSとは、脳や脊髄に専門用語で言いますと“炎症性の脱髄病変”が起こっては消え、治ってはまた現れるもので、その病変の部位に従って様々な症状が出る大変やっかいな病気です。このMSの病因は分かっておりませんが、神経系における免疫の異常が病気を起こしているものと考えられています。診断は神経の専門の神経内科医においてなされることが多く、なかなか一般の内科医や脳外科医の先生でも難しいものがあります。しかし、最近は脳MRIという検査が盛んに用いられるようになり、より診断が容易になってきました。

2.日本のMS
 このように稀で、かつ複雑な神経症状と経過を示し診断の難しい病気ですから、日本においては1950年代までは「MSは日本にない疾患」と考えられていました。しかし、九州大学の初代の神経内科教授であった黒岩 義五郎先生達の努力で日本にもMSが存在していることが明らかにされてきました。現在では日本でも1万2千人を数える患者さんがおられるのではないかと考えられています。黒岩先生はその意味で日本のMS研究のパイオニアでありますが、この日本多発性硬化症協会(JMSS)の初代医学顧問団の代表でもあり、この協会の設立に大変大きな役割を果たされた方でもあります。
 日本では、MSの認識が歴史的に遅れたこともあり、また診断の基準の考え方の違いもあり、日本に多くみられる視神経と脊髄に病変を繰り返す特殊なタイプの病気をMSの一部ととらえ視神経脊髄型MSとして日本のMSの特徴としてきました。この病型は、世界の神経内科医の方々から特殊な病変の分布や臨床的特徴が注目されてきましたが、現在はこの疾患は多発性硬化症ではなく視神経脊髄炎(Neuromyelitis optica,NMO)という病態の違う病気であることが明らかになってまいりました。この発見には日本の研究者の貢献が多くあり、NMOは脱髄疾患というよりアクアポリン4抗体という特殊な抗体が脳の中のアストロサイトを障害するという新たな概念の疾患であることが明らかにされています。

3.多発性硬化症の研究の動向
 繰り返しになりますが、多発性硬化症の病因はまだ分かっていませんが、病態には免疫異常が関与していることはよく知られています。20〜30年前は多発性硬化症の原因解明のための多くの努力が世界中でなされましたが、具体的な原因がわからないまま現在にきているのが現状です。しかしながら、原因は分からないものの治療研究に関しては大変大きな進歩がありました。すなわち、1993年にインターフェロンベータ治療が始まって以来、抗ウイルス薬あるいは免疫調整薬というものがMSの病態を改善することが次々と明らかにされてきています。現在は、欧米におきまして6種類以上の免疫調整薬が多発性硬化症の薬として利用されてMSの再発を抑制することに効果を上げています。しかし、残念ながら日本では新薬の認可が厳しい状況でもあり、現在ではまだ1種類の免疫調整薬しか使えない状態です。患者さん達はより多くの種類の薬が使える日を待ち望んでいます。
 一方、先ほども述べましたが、以前はMSの一部と考えられていた視神経脊髄炎(NMO)はアメリカのメーヨークリニックの研究者や東北大学の研究グループで病態についての研究が進み新たな治療法の開発が日本から発する日も遠くないものと考えます。

4.日本の多発性硬化症協会
 日本の多発性硬化症協会(JMSS)は先ほども申しましたように、黒岩 義五郎先生が国際MS協会からの依頼を受けて当時の三栄コーポレーションの社長であった和泉 国夫さんの多大な協力を得て立ち上げられた協会であります。当時は日本においては厚生労働省や文部科学省の研究資金も十分でなく、またMSの共同研究グループもない時代でありました。もちろん患者会も極めて少ない時代でしたので、日本の多発性硬化症協会が中心になり、国際的なMS研究や療養の在り方の情報を積極的に取り入れてきました。そして、それらの情報を患者さんに広げ、また患者さんの悩みにいかに答えるかを検討したり、あるいは厚生労働省に研究の推進や療養の在り方の改善策を相談したり、また国際的な学会に参加したり日本で行なったりして活動してきました。しかし、時代を経るにしたがって日本においてのMS協会の役割は少しずつ少なくなってきている印象を持ちます。現在、新たな形で日本多発性硬化症協会の役割を考え直し、いかに発展するかということを考える時期になっているものと思います。荒井 好民会長を始め理事の皆さんでその方向性と在り方の検討が今進められているところです。医学顧問団は、北は北海道から南は鹿児島まで多くの先生方が協力の意思を示していただいていますが、どのような形で協力すれば患者さん方が最も喜ばれるかを現在模索しているところです。
 やはり、この協会は国際的なMS協会の一員であるので、その立場から国際的に各国のMS協会との連携を深めて、世界で行われている研究と創薬の開発の情報を広く取り入れたり、情報交換をしながら日本でのMS研究や創薬開発を支援していくのが最も望ましい姿ではないかと思っております。今後多くの皆様のご意見を聞いてMS協会が発展することを祈っております。

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Created: Aug.01,2009